書きたい内容があって、さて、標題は何にしようかと目をつむっていると
邂逅(かいこう・出会い、巡り会い)の言葉が浮かびました。
昨日、明鏡止水の言葉を出しました。
昨日、ある方とお話をしていた時、波動、エネルギー、全体・・など
ぴたっとなるのを感じたのです。
その状態を表すと、まさに明鏡止水。
ここで、私が過去に経験したことを少々お話したいと思います。
私は、過去、長年に渡り重い鬱状態にありました。
歩くことも立つことも出来ず、五感は作動せず、目は開いていても見えず
耳は開いていても聞こえず、触感も失われ、食欲も湧かない。
ひたすら寝床に横になるが、体に自分の体重の10倍の重力、10G(Gravitation:重力)が
かかったかのような圧力を感じ、指一本を動かすことすら困難な状態。
何の感情も無いのに、涙だけがとめどなく流れ、主治医の先生に
「オランダでは安楽死が認められているのに、
どうして日本では鬱の安楽死が認められて無いのですか?」
そんなことが毎日、毎日、来る日も来る日も続いていました。
もう、一体、どれほど眠ったのか、どれほどの時が過ぎたのかわからない。
そんなある日、ふと自分の心臓を手に当てた時
「自分が死のうとしているのに、自分の体は生きようとしている。」
自分が苦しもうが、人生が嫌になろうが、何を考えても、
私の体は、生きようとしている。
そう気づいた時、私は「うわあああああ~~~~、うああああ~~」と
振り絞る様な声を出し体を震わせ泣いていた。
しかし、その涙は、何の感情も無く流していた涙とは違うものだった。
今にして思えば、これが自我(考える自分、感じる自分)と真我との
邂逅だったのではと思う。
そして、自我と真我が邂逅した状態こそが、明鏡止水の波動の状態となる。
波動の状態は波長や周波数(Hz:ヘルツ)で表される。
ご参考に:中部電力パワーグリッド 「周波数」と「波長」
ラジオで例えるなら、自我を真我に波長を合わてチューニング(共鳴共振)して
「カチ」っと合った瞬間
その瞬間が明鏡止水
心、魂、体など全体が統合され、調和、調律が取れた状態。
この時、命が命として動き出し、体が体として動き出し、心が心として動き出す。
瞑想、禅は、自我を明鏡止水の澄んだ状態、鎮静の状態にして
真我を引き出すことを指します。
仏陀が何年も難行苦行を行っても何も会得せず、瞑想をして悟りを得た状態
今の私の夢は、カンフーか何かの特殊技術を身に着けて、敵が攻めて来た時
「若いモンは、すっこんでな。」と言って
未来ある若者を逃がし、一人で敵をやっつけるかっこいいおばばになることです。
UnsplashのRyan Chengが撮影した写真