霊力は無限に尽きなくとも、私たちの知力体力には限界があります。
特に体力については、一日に使える体力の量があります。
そんな体力の量を思えば、心配し続けたり、不安であり続けることは
とても体力を消耗していることになります。
子供が心配、年老いた親が心配、愛する夫や妻が心配、誰かを思う気持ちは尊く美しいもの。
でも、一日、何回も心配をし続けていたら、どうなるでしょう?
心配を続けると仕事が手につかなくなったり、集中力が乱れたり、
気がそぞろになってしまいます。
これでは、まるで、水道の蛇口をひねって、あなたの気(エネルギー、生命力)を
ざぶざぶと流しているようなものです。
正しい心配の方法があります。
心配とは、その漢字が示すように、「心配(こころくば)り」です。
例えば、私の場合、年老いた母が心配。
母に、気(エネルギー)を送って、結界を張って終了です。
一度、心配、心配(こころくば)りをしたら、その日は、もうしない。
何度も、心配りをしたら、あなたが疲弊してしまいます。
体力、心の力にも限界がありますから、心配は一日に一度だけと決めてはいかがでしょうか。
後の力は自分の為に使うべきです。
生きていくうえで、自分と他者との一線を引くことが出来るか否かで、
自分の人生の濃さが変わってくると思うのです。
心配をするのは一日に一度だけ。
自分の体力を一日、どう使うか。
時間割と共に、体力割も必要ですね。
congerdesignによるPixabayからの画像