自分に祈りを

世の為、人の為に祈る

それが当たりまえのように流布しています。

では、自分のことは誰が祈ってくれるのでしょう?

自分の為に祈りましょう。

自分の為に祈れない人が、他者の為に祈れるのでしょうか?

自分を愛せない人が、他者を愛せるのでしょうか?

自分を大切に出来ない人が、他者を大切に出来るのでしょうか?

自己犠牲的精神・・このような言葉が流布し、自分を犠牲にすることが

高潔なことであるかのような印象を与えています。

これは、支配層による支配であり、悲劇であり、これほど人権を

無視したものはありません。

例えば、昔は、王が死ぬと、死出の旅路の供とする為、多くの者が

生き埋めにされたり、城を築く時の人柱に、数多くの人々を

生き埋めにしたり。

誰かの犠牲によって成り立つ幸せが、正しいことだと思いますか?

犠牲にするほうは良くても、犠牲にされるほうは、たまったものでは

ありません。

もし、誰かの命で贖(あがな)えて天災も事故も無く、平和になるのであれば、

とっくにそうなっているはずです。

しかし、事実はどうでしょうか?

疫病が猛威を振るい、戦争が常に作り出され、人心は乱れ

詐欺や強盗が横行する。

良い世の中を作るには、正しい心を持った人間の育成しかあり得ません。

ですから、自分が犠牲になれば、誰かが救われると言った

間違った考えに心酔しないで下さい。

誰かに不幸を押し付けるのではなく、自分も他者も幸せに生きる方法は

あるはずです。

自分が自分の主人公であることを手放さず、自分を尊重すること。

自分と他者は繋がっているので、自分を愛せば、自分に関わる人を愛し

自分を慈しめば、自分に関わる人を慈しむことが自然発生するのです。

では、自分の為に祈るとは、どうしたら良いのでしょう?

眠りに就く前にあなたの望みを唱えましょう。

痛みが取れますように、苦しみから解放されますように。

健康でありますように。

良き出会いがありますように。

豊かさが降ってきますように。

あなたが、自分を大切に出来るなら、あなたを大切にする現実がやってきます。

さあ、どうなるか、早速やってみましょう。

自分の為に祈ることが習慣化出来ますように。

David MarkによるPixabayからの画像