正しく生きるとは

正しく生きるとは、どういう生き方なのでしょう?

迫りくる混沌とした世界を、しぶとく生きる為に、ここでちょっと考えてみましょう。

誰かの為に、何かの為に尽くすのは美徳です。

しかし、それは、あなたが幸せであることが条件です。

自分をないがしろにしては何も出来ません。

自分の命、体、健康、人生、人権、自由を守るのは、生命体として当然の本能であり

憲法で保障されている国民の権利です。

しかしながら、あまりにも自分のことなのに、自分の命、体、健康、自由に関して

無頓着だと言わざるを得ません。

正しく生きるということは、何なのか?

あなたが自分に愛を贈り、その愛をあなたが受け取ると

あなたの心、体、魂が喜びます。

愛の波動で「喜び」の波動が「生まれ」るのです。

愛と喜びの波動が共鳴共振すると、自分の体から自然に溢れ出します。

その溢れた波動が他者に愛と喜びをもたらし、周囲を幸せにするのです。

また、あなたが欲するお金、情報、愛、豊かさ、人間関係などを引き寄せるのです。

魂は愛と光の存在です。

愛の存在が求めるものは、愛です。

魂が、求めるのは愛です。

心が、求めるのも愛です。

体が、求めるのも愛です。

だから、まず、自分に愛を贈りましょう。

その愛から生まれた喜びで心を膨らませましょう。

誰かの為に命を懸けられるから、愛があるでは無く。

自分を愛しているから、誰かの為に命を懸けられる。

自己犠牲を自分に強いても卑屈になるだけで、高潔さでも美徳でもありません。

戦場で兵士が死ぬ時に、最後の言葉は

「お母さあああーーん」

戦場から帰還された方がお話されたそうです。

大の男が死ぬ時には、「お母さああああーん」と言って死ぬと。

母とは、愛、そのもの。

母の漢字の成り立ちをご存じですか?

「女」に二つの乳房を加えた象形文字です。

お乳は愛、そのもの。

もし、あなたが昔、自分を苦しめた、痛めつけたと後悔しているなら

過去に遡り、過去の自分に愛を与えて上げましょう。

出来ない言い訳や、行動しない言い訳を数えるのは、もう止めにしませんか?

自分を縛って身動き出来ないようにして苦しめているのは誰ですか?

自縄自縛の状態を愛のはさみで切ってあげましょう。

あなたなら、きっと出来る。

YuriによるPixabayからの画像