こんな標題の記事を見かけて、読んでみると、野球の大谷翔平選手のご両親の取材記事で
親が子供の前で喧嘩をすると、人の顔色を窺うようになるから、
子供の前で喧嘩をしてはいけない、ざっとこういった旨の内容でした。
ネットの記事で、コメント欄を見ると。
本当に、これは、ガチ。
親が喧嘩をする家庭に育って、二人とも結婚してない。
母親がヒステリック、父親がそれを止める為にさらに怒鳴る、その結果、三人とも不登校。
などなど、親が喧嘩をして育った結果・・・・という内容が多々あり。
それって、私のことじゃない・・・と思いました。
不登校、8年にも及ぶ摂食障害、希死念慮、鬱、むき出しの心では辛いので喫煙も。
母親は、嫁いで姑にいびられ、小姑の食事、お弁当を作らされ、子供が出来ても
子供の世話が出来る状態では無く、まさに奴隷としての労働が待っていました。
そんな泣いている母を父は慰めるでも無く、暴力を振るう始末。
私が中学生になると、母の愚痴はさらに加速、増強。結婚は人生の墓場とか何とか。
高校時代は、両親が離婚する、しないで揉める日々。
東京に住む叔母に電話で「死にたい」と言ったのもこの頃。
高校か、浪人時代か忘れましたが、母が「親戚を見返す為に、いい大学に行ってくれ」と
言われて、心が完全に萎えました。
大学卒業して、社会人になって、離婚するのしないと揉めるので、私が母を引き取ることに。
でも、結局、東京に母が来ることは無く、そのまま時間が経過する。
育った環境はその人の一生を支配する。
記事を読みコメント欄も読んで、じゃあ、父と母が仲良かった場面を思い出そうとするが思い出せない、むしろ、喧嘩で怒り狂っている両親の姿や感情が思い出される。
それでも、何とか、穏やかな状態の両親を思い出そうとするが、記憶が曖昧で。
そもそも、思い出せるくらいなら、私はこんなに歪んでいない。
人は、三歳頃までに自分の一生の姿を描くと言われ、カウンセリングで人生脚本と言う。
両親が喧嘩ばかりして、子供に「幸せになりなさい」と言葉で言ったとしても
子供は、親が喧嘩をしているのを察知しているので、両親の喧嘩を再現するようになる。
人生脚本を書き換える作業をしなければ、人はまた同じことを繰り返す。
何十年経っても変わらぬ両親を私は馬鹿にするようになった。
こういった境遇で育つと、心が愛で満たされないので、依存症になったり、
共依存と言われ詐欺被害にあったり、家庭内暴力、などの被害者になる傾向がある。
私は、無意識のうちに、母を救えなかった罪悪感からか
「母親より幸せになってはいけない。」
「生まれて来てはいけない」
「存在してはいけない」
「豊かになってはいけない」
そんな禁止令を自分にたくさん課してきたのだと思う。
恋愛をして、「愛している」「好きだ」と言われても、相手のことを疑ってしまう。
いつか、私を捨てるんでしょ、と。
自分を信じることも出来ず、相手を信じることも出来ず、でも、その感覚は自分で
どうすることも出来なかった。
幼い頃の記憶をさらに辿っていくと、はたと思った。
母親の卵子と父親の精子がぶつかって(→もっと美しい表現はないものか)命が生まれた。
なんだ、それって、母の愛と父の愛があって、私は生まれた。
「私は愛から生まれた。」
この気づきは衝撃的で、あんなにぼやけていた視力が戻るかのようだし、体も弛緩していくのがわかる。
いつも、体のどこかに力が入って、こわばらせ、落ち着いたり、心からくつろぐこともなかったのだろう。
命が命として働くとは、このような状態をいうのだろうか。
生命力や自己治癒力、再生力を上げるとは、この力のことだろうか。
何か、体から溢れるのがわかる。
毒素だろうか、悲しい思いだろうか、愛だろうか・・・・。
自分を許し、他人を許すとは、愛が無ければ出来ないことです。
でも、命の本質は愛。
誰もが愛を知っていて、手に入らないことで、生きる苦しみが始まる。
今までは、自分を罰することで、母の境遇を救おうとしていたが、
今後は、自分が幸せになってその幸せの波動で母を包み安息の場所を与えたい。
自分は愛から生まれてきた。
このことに気づくのに、53年と数か月もかかってしまったが、それでも生きている内に
気づけたことは幸運と思うべきだろう。
自分は愛から生まれてきた。
そう思うとまるで、白黒の世界に色が付いたかのようで、味覚や嗅覚までもが変わるようだ。
あなたも愛に辿り着き、自分を、自分の心を、自分の人生を愛で満たして生きて欲しい。
その為には、自問自答を繰り返し、心の旅を続けて、幼い自分に声をかけ、
今いる時点に行くことだ。
一回の気づきや悟りで、人生が劇的に変わることはない。(→理想と現実)
前に進んではまた、戻り、進んでは戻りの繰り返し。
でも、魂、真我は、自分のあるべき姿を知っている。
生きている間に、その姿に辿り着けたらいいな。
長い旅路になりそうだが、ゆっくりゆっくり進むとしようか。
UnsplashのMaahid Photosが撮影した写真