この写真、何?って思いますよね。

父です。

と言いたいところですが、父のエネルギーが入っている石を麻布で包んでいます。

令和元年6月末頃、父が誤嚥性肺炎を発症。

抗生物質は2週間しか投与が認められておらず、怖ろしいことに、抗生物質に対抗する

菌が体内で増殖し、医師からは為す術(すべ)が無いと言われました。

誤嚥性肺炎を発症する前、施設で、度々の発熱、食べても吸収力が弱まっているのか、

痩せていく状況が続いていましたが、

まさか、こんなに突然、話も出来なくなる状況が起きるとは思っていませんでした。

肺炎は、首を絞められながら呼吸をするようなものだとの文章を読んだことがありますが、

まるで、拷問を受けているのかと思うほどの声を上げ続けています。

それが、11月15日まで、約4か月半も続いたのですから、どれほど苦しかったかと思うと

涙が止まりません。

医者につける薬は無い、そう言われて、はい、そうですか、となるはずはありません。

アロマ精油で菌に対して有効だとの文献を探し、精油を取り寄せ、

調合して父の体に塗布しました。

体は自力で動かすことも出来ないほど衰弱していましたので、足のマッサージ、

手のマッサージをしてリハビリの代わりとし、耳は最後まで聞こえると聞きましたので、

オルゴール音楽をかけて、父が少しでも楽になってくれればと思いました。

毎日、病院に通いました。

でも、いつまでたっても声を張り上げ、その苦しさは軽減することは無く、背中には

内臓が見えるほどの褥瘡(じょくそう)が出来、その様は筆舌に尽くし難い。

神に仕える者の最後とは、ここまで業(ごう)を背負うのかと。

父のエネルギーを何とか、この世に留めておきたいと、父と一緒に海岸で採集した石を

父の額の上におきました。

「お父さん、この石に入ってね」

令和の天皇陛下の御代になり、代替わりの神事が済むのを全て見届けるかのように、

苦しみを堪えて生き抜き、11月15日月次祭の神事の朝に天に帰っていきました。

父が高齢で、もう神職が出来ないと言って、急遽、私が資格を取って、

一年間、父の後をついて神事を行いました。

祝詞を奏上する、父が私に許可すること無く、父は帰天しました。

父の祝詞奏上をテープに録音しなかったことは、とても後悔しています。

氏子の方が、「お父さんの祝詞奏上を録音して練習しなさい」と仰ってくださったのに。

だから、神事を行う時は、

「お父さん、行こうか」

「お父さん、見ててね」

そんなことを石に話しかけて、

私は白衣の帯に、父の石を挟むのです。

父には、反発、反抗ばかりでしたが、神職になったこと、介護をしたことで

許してくれてたらいいな。

親の恩は天より高く、海より深い。

人と言うのは、心で生きているのだと今日もつくづく思うのです。