生きる

人は何故、生まれて来るのか。

人は何故、生きねばならぬのか。

ずっと問い続けてきました。

いろんな答えを模索しましたが、どれもピンとくるものがありません。

でも、やはり、「自分を愛する為に生まれ、生きている」それが答えではないかと

思うのです。

自分に愛していると言って、心を真ん丸にし続けていると、

人を愛せるようになりました。

この世界を愛せるようになりました。

自分を愛すと、自分と繋がっている人、世界を愛せるようになったのです。

歪んだ心で世界を見ると世界は歪んでいました。

だから、

「こんな世界、滅びてしまえばいいのに」

「神様なんか、大っ嫌い」

そんなことばかり、考えていたのです。

でもね、心を膨らますとね、心が弾むようになって軽くなる。

心が軽くなると体調が良くなって生きる意欲が湧いてくる。

「生きていれば、良いこともあるよ」

そんなことを言われても、全く、心に響かないどころか、そんなことあるはずない、

そんなこと、どうでも良い、ととても心がささくれていました。

魂は愛そのもの。

魂が本来の自分の姿を取り戻す時、人は人となる。

人の文字は、人が支えて貰っている姿だと聞いたことがありますが、

真我が自我を支えている姿かもしれませんね。

自分は二度と生まれ変わって来ない、この人生で輪廻を終わらせる。

ずっとそう思ってきました。

でも、最近、少しだけ、ちょっとだけ

「また、生まれてきてもいいかな・・」

そう思っています。

生きていれば良いこともあるよ、はどうやら本当だったようですね。

命が命として動き、心が心として動き、魂が魂として動く時

それを幸せな状態だと言うんだな。

たくさんの愛を解き放ち、世界を包み、運命を包んで、この世界に癒しと救済をもたらさん。

そんな人がたくさん増えたら、この世界を神界と呼び、浄土と呼び、桃源郷と呼び、

サンクチュアリと呼ぶんだろうな。

人の本質は愛、命の本質も愛、魂の本質も愛。

そして、この世は助け愛。 なんちゃって。

Marek ChalabalaによるPixabayからの画像