国語、数学、英語

学問の基本とされている学科です。

英語が入っているのは、とても複雑な心境ですが、

世界の公用語となっているため致し方ありません。

もし、第二次世界大戦で日本が勝っていたら世界の公用語は日本語になっていた。

大学時代の友人が言った言葉です。

そんなこと考えもしなかったのですが、言われてみればそうですよね。

さて、受験の真っただ中、合格発表までの期間を待つ方も多いでしょう。

進学のご相談を受ける時に考えるのが、将来、何を仕事にするのだろう?

その子の特性や才能はどこにあるのだろう?

そんなことを考えます。

国語や、英語の語学は人を繋ぐ神秘的な道具です。

子供がおもちゃで遊んでいるとして、どうやって遊ぶのが上手になるかと言うと、

いかに、おもちゃに多く触れるか?です。

語学も同じで、如何にその言葉に触れるかです。

英語が出来なかった私は大学時代、後輩に聞きました。

その後輩(男)は、高校時代に留学して、英語がペラペラだったのです。

曰く、「英語しか話せない彼氏と付き合えば、一発で喋れるようになりますよ」

然り、言葉とは必要に迫られてこそ真価を発揮する。

例えば、海外へ旅行に行ったとして

「お腹が空いた」と「トイレに行きたい」この二つの言葉が通じると何とかなるものです。

しかし、言語について言えば、「物と名前」の記憶についての概念構築に言及しておきたい。

ヘレンケラーにサリバン先生が言葉を教えるのに

「水」を教えるのに、手に水を触れさせて、手に「water」と書いた。

人は物に名前を付けて意思の疎通を図ろうとしている。

「お城」と聞いて、何を思い浮かべますか?

日本のお城しか知らなければ、日本のお城のみを思い浮かべるでしょう。

欧州のお城を知っていれば、欧州のお城も思い浮かべるでしょう。

このことからわかることは、たくさんの事物を知ることは、

それだけ世界が広がる、ということです。

自分の知識の世界が広がるということは、選択肢が増えるということ。

これは豊かに生きることになるでしょう。

数学は、どんな学問だと思いますか?

数学とは、この世界の自然法則を発見し、生活に使っていく学問だと私は考えます。

学校教育ですと、数学も暗記のように覚えさせらるのですが、

本来は、「それだー!!!わかったぞー!!」と見つけた喜び、

解明出来る喜びがあるはずなのですが・・・

学校教育の数学ですと、今、私がブログに慣れずIT用語が暗号だと感じているように

数学は暗号みたいで、全くわからん、そう思う生徒も多いのではないでしょうか?

雪の結晶は六角形、亀の甲羅も六角形など自然界には法則があって

私たちは、その法則の中で生きています。

重力があって生きているのもそうです。

でも、見つけようとしなければ、何も見つかりません。

ガリレオが裁判で有罪判決を受けながらも

「それでも地球は回っている」と言ったように

真理の探究は自分の探究です。

真理の発見は自分のいる世界を理解することになります。

それは、自分を育む地球の環境を理解し感謝に繋がります。

とても興味深い記事を見つけました。

学校教育も斯くあるべし。

カメの甲羅の不思議
〜生物学的解析と数学的解析の違い〜

イタリア:ピサの斜塔

Dimitris VetsikasによるPixabayからの画像