豊かさの基準

一体、いつから豊かさが、お金があるか無いかで判断される風潮に

なったのでしょうか?

豊かさの基準や幸せの基準は、お金を持っているか否かなのでしょうか?

私の母方の祖母は、大東亜戦争で祖父を失いました。

祖父は、32歳。

フィリッピンに海軍として出兵し、戦死しました。

その時、祖母は、25歳。

25歳で、お腹に一人、上に二人、計三人の子供を抱えて未亡人になりました。

子育てしながら働くなど困難ななか、敗戦で世の中はひっくり返り、

あらゆる仕事をしても、追いつかず、祖母は、何かいただきものをすると

自分は食べずに、必ず三等分して子供達に食べさせてくれたそうです。

大黒柱を失って極貧生活です。

当時は、そのような境遇の方が多くいたはずです。

母に言わせると、朝も唐芋(とういも・さつまいものこと)、昼も唐芋、夜も唐芋、

今と違って、全く甘くも美味しくもない芋だったそうです。

お風呂は、銭湯に一週間に一回のみ。

亡くなった叔母は、「どんなに母親が頑張っても男親がいる家庭には叶わない」と

嘆いていました。

94歳まで、独り身を貫いた祖母でした。

ずっと、祖父の帰りを待ち続けていたのではないかと思います。

そんな祖母が言いました。

「貧乏ちゃあ、ありがたかよ。貧乏すると知恵が湧いてくる」

貧乏が有難い?

そう思う人が一体、今の世の中にどれほどいるでしょうか?

フィリッピンで、終戦を知らず、たった一人でジャングルで30年も戦い続けた

小野田 寛郎(おのだ ひろお)陸軍少尉はこう仰っています。

「戦場でお金は何の役にも立たない」

豊かさの基準、豊かさの尺度とは何を基準に考えれば良いのでしょうか?

それは、「心が欠乏感を感じていない状態」だと私は考えます。

ぼろぼろの服を着ても、夢中なっている時は、心は満たされ幸せを感じます。

人の豊かさの基準や幸せの基準は外側にあるのでしょうか?

人の豊かさの基準は、心や魂にあるのではないでしょうか?

人は追いかけられると逃げると言います。

お金もエネルギー、生きています。

お金も追いかけられれば逃げます。

人は、たくさんたくさんの魅力を持って生まれてきます。

あなたの強みは何ですか?

読書?運動?音楽?教育?学問?話すこと?聞くこと?

あなたが自分を愛し心を満たして

心を真ん丸にすると

そんな真ん丸の心がとても魅力的で、お金だけではなく、

いろんな素敵なエネルギーがあなたに使って欲しくて寄ってきます。

誰かを傷付けて得たお金は、お金でしょうか?

豊かさの基準、どう思いますか?

そして、豊かさとは追い求めるものでしょうか?

自分の心、自分の魂、自分の存在

自分が泉のように湧いてくる豊かさ、そのものであると

いつか人が気づくことはあるのでしょうか?

Jill WellingtonによるPixabayからの画像