清貧(せいひん)

女子神職が認められるようになったのは戦後です。

おそらく、当時、男性が出兵し、戦死、負傷で社家の継承が困難だったのではと推測します。

女子神職の装束を新たに購入すると、約100万円かかります。

ですので、私は父のお下がりの狩衣を着装していました。

白衣や袴、足袋は、サイズだったり、男性、女性で異なるので必要な物は揃えました。

父の装束も、私が生まれた前後のものですから、大体、55年前後くらい破れた箇所を繕って着ています。

生地が擦り切れてしまえば仕方ありませんが、大抵の穴や、ほつれは縫えばまだまだ着られます。

神事で大切なことは、神官が美しい装束を着装することでは無く、心を込めて行うか、です。

父は、シャツでも下着でも家電製品でも装束でも、購入した年月日と名前をマジックで書いていました。

家電などは、金額まで書いていました。

若い頃は、貧乏は嫌だと思っていました。

でも、今ならわかります。

「貧乏が嫌だと思うその心が貧乏なのだ」と。

少ない物を大切にするその心。

その心が豊かさなのですよね。

大切にされれば物も洋服も喜んでくれます。

自分が貧乏かどうかを気にするのでは無く、自分の心が貧乏かどうかを気にすべきですね。

心が豊かであれば、他のことは気にならないものです。

最近になって、ようやく、そんな生き方こそがかっこいいとわかるようになりました。

おにぎりが食べたいとメモを残し、生活保護を受けれず餓死した方。

住居費が払えず、中学生の娘と無理心中をした母。

認知症の母を介護し、職を続けることが出来ず、生活保護を貰えず、母を殺して自分も死のうと無理心中した方。

生活保護制度を知らず、精神疾患を抱えた母が息子に「殺してくれ」と嘆願し、弟を外出させて母を殺した長男。

世の中の不条理が無くならない理由を、誰か教えてくれないか。

国民全員が飢えることの無いように。

お金は命を救うのだという事実を、しっかりと確認していただきたいものである。